「八村塁、1巡目9位でワシントン・ウィザーズが指名」


 

 このビッグニュースが621日の午前中、日本中を駆け巡りました。その瞬間は各局がニュース速報を流し、朝のワイドショーの時間帯ということもあり、この快挙を取り上げるチャンネルあったほどです。バスケットボールではなかなかない、これも“快挙”と言えます。


 

15年前に田臥勇太がサマーリーグからフェニックス・サンズで開幕ロースター入りを果たし、日本人として初めてNBAのコートに立った時の感動も忘れていません。アトランタ・ホークスとの開幕戦、早速出番が回ってきて、得意の速攻からダブルクラッチシュートを放った時のこと(残念ながらシュートは外れましたが…)。


 

それから14年後、今度は渡邊雄太がNCAAディビジョンⅠに所属するジョージ・ワシントン大学を卒業後、メンフィス・グリズリーズと2way契約を結んでNBA入りを果たします。渡邊は開幕から5戦後のフェニックス・サンズ戦、ついにコートに立ちます。ちなみに日本人として初めてNBAのコートに立った田臥勇太はサンズに所属していました。このあたりも何か縁を感じてしまいます。


 

渡邊がNBAのコートに立ったシーズン、八村は全米カレッジ界の名門、ゴンザガ大学の3年生になりました。そして全米でも屈指の強豪チームにあって、エースとして勝利に貢献。1試合平均19.7得点6.5リバウンドというスタッツを残します。残念ながら優勝を目指したNCAAトーナメントではベスト8で終わりましたが、八村はNBAのドラフト候補生として注目を集める存在になっていました。


 

614日にメディアに公開された男子代表育成キャンプには、アメリカ在住の選手も何人か参加しました。彼らは「目標は八村選手。八村選手のようにNBAに行きたい」と語りました。そして、「八村選手は日本でも有名かもしれませんが、アメリカでもかなり有名です。同じ日本人として誇りに思いますし、彼のようになりたい」。そうしてNBAのドラフトに府がやってきます。


 

日本人がドラフトを通じてNBA入りする。バスケットボールに携わって20年以上たちますが、こんな日が来るとは夢にも思っていませんでした。なので、「指名が確実」という評価を八村が得てから、「これは絶対にNBAのドラフトへ取材に行かなければいけない」と決めました。しかし、NBAは「はーい、取材させてくださーい」と手を挙げても、簡単に許可が通りません。


 

一番のネックは媒体としての実績です。これまでどれだけNBAの記事を取り上げてきたか⁉ それがチェックされ、取材の許可が下りるかどうか決まるのですが、ご存知のようにバスケットボールキングはBリーグの開幕とともにスタートしていますので、始まって丸3年の赤ちゃんのような媒体です。


 

実績作りでカギを握ったのは渡邊選手でした。実績作りはサマーリーグからスタート。その後、開幕前にグリズリーズと2way契約を渡邊選手は結びます。しかし、この契約では主にGリーグを中心にプレーをするので、記者、もしくはカメラマンを派遣するタイミングが正直難しかった…。


 

2way契約ではシーズン中に45日間、NBAのチームで行動(試合、練習)をすることが可能です。でもどのタイミングでグリズリーズでプレーするのかはわかりません。しかし、何とかバスケットボールキングの媒体として、取材をすることができ、NBAのメディア担当からも定期的にメールで案内が来るようになったのです。


オールスターゲーム、プレーオフと、経費が許せば取材も可能だったのですが、そうそう簡単にアメリカまで取材に行くことはできません。そこが経費を我慢して、NBAドラフトの日を待っていたのでした。


 

しかし、NBAドラフト取材受付のメールが今度はなかなか来ません。5月も中旬を過ぎ、620日のその日まで1カ月を切ろうかという522日、やっとメールがやってきました。後は申請して、それが通るかどうかだけ。この日のために実績を積んでいるし、八村君の指名確実という情報を受けて、新たに取材に行こうとするメディアよりも先んじているはず。


 

ただ、今度はOKのメールが来ないのです。NBAの取材では往々にして返事が遅いのですが、いつもながら気をもませてくれるものです。取材OKのメールが来たのが614日…。とにかくこれでドラフトの取材ができる(このメールが来る前にニューヨークに渡る飛行機とホテルは予約済みでしたが)。


 

こうして初のNBAドラフト取材に旅立った行ったのです(続く)


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